SEA 世博記念ワークショップ・ツアーの感想 岸田孝一 (SRA) 中国へ行くことの楽しみの1つは,社会のさまざまな変化のスピードを体感する ことだが,その点では今回も期待は裏切られなかった. 世博ブームに沸く上海の状況はほぼ予想通り.時間の余裕がなくて,いくつかの アート・スポットは訪問できなかったが,Web 上での情報を見るとずいぶん変化 しているようだ.わたしのお気に入りの蘇河芸術センターが活動を停止している らしいことが気がかり.街中の京劇場「逸夫舞台」は, 内装が以前よりずっとき れいになっていた. 無錫の新技術開発パークは,まるでロサンジェルスのような印象.あと何年かし て街作りが完了したあとはどうなっているのだろうかが興味深い.問題は住宅や オフィス,道路,交通機関などのハードウエア・インフラよりも,文化・教育な どのインフラがどう整備されるかだろう.日韓のビジネスマン向けの飲み屋街が あるだけではちょっといただけない. 張家界の近代化(観光施設の整備)には驚いたが,かつての素朴な田舎町の雰囲 気が消えかけていることには、一抹の寂しさを覚えた. 上海の魯迅記念館を久しぶりに訪問して,昔読んだエッセイ「フェアプレイは時 期尚早であること」を思い出した.  http://www.luxun.sakura.ne.jp/luxun/sakuhin/haka/fairplay.html その冒頭の「解題」には次のように書かれている:   雑誌『語絲』の五七号に林語堂先生が「フェアプレイ」(Fair play) 説き、   この精神は中国に甚だ少ないから、われわれは大いに奨励につとめなければ   ならぬと述べ、さらに「水に落ちた犬を打」たぬことを「フェアプレイ」の   意義の補足的説明としている。私は英語がわからないから、その意味はどう   いうことか知らないが、もしも「水に落ちた犬を打」たぬのが、その精神の   一つのあらわれだとすると、私は大いに言い分がある。ただ、この小文の表   題に「水に落ちた犬を打つ」とむき出しに書かなかったのは、人目に立つの   を避けるためである。つまり、強いて頭に「贋物の角」をつける必要もある   まいと考えたからである。私のいいたいのは、要するに、「水に落ちた犬」   は、決して打ってはならないものではなく、むしろ、大いに打たねばならな   いというだけのことである。 多くの日本人旅行者から,半ば西欧化したカルチャーにもとづいて中国を(特に その社会的変貌を)非難することばを耳にするが,それらはほとんど,魯迅がす でに1世紀近く前に批判したように,表面的な「フェアプレイ論」でしかないよ うに思われる. 翻って日本を眺めてみると,明治政府に主導された近代化によって,日本は何を 得,何を失ったのかを,この辺でもう一度考え直したほうがよいのではないだろ うか.得たものよりも失ったもののほうが多いのではないかと,ここ数年,中野 三敏さんや子安宣邦さんの一連の著書(近世新騎人伝,江戸狂者伝,江戸思想史 講義、方法としての江戸,etc) を読みながら感じている. いま,日本の政治経済システムは,「水に落ちた犬」のような状況にある.それ をフェアプレイの精神で水から救い出すのではなく「むしろ大いに打たねばなら ぬ」のではないだろうか. 今回の会議で,中国で活躍しておられる何人かの若い方々と知りあえたのはうれ しいことだった.わたしは以前から,単なるコストメリットだけを追求するオフ ショア・ビジネスの限界を指摘してきたのだが,そうした意識が、いま中国で実 際に仕事をされていらっしゃる方々の共通認識になっていることを知って、大い に意を強くした. ソフトウェアという Immaterial Business の分野では,中国は低コストの工場 ではなく,むしろ巨大な潜在市場であり,そしてまた,高度な知識と技術を持つ パートナー(あるいはコンペティター)であるという認識が、まだ日本のソフト ウェア業界には欠けているように思われる. そうしたグローバルな視野の必要性に関していえば,日本に帰ってから,柄谷行 人さんの新しい本「世界史の構造」が6月末に出版されていたことを知った.こ れは,4年前に岩波新書から出た「世界共和国へ:資本=ネーション=国家を超え て」の発想を膨らませた 500ページを越える大著だが.Nation-States としての 近代国家の衰亡という視点はわたしと共通しているし,ラッツァラートさんたち の Immaterial Labor 論とも重複するところが多いので,そのうちに読まないわ けにはいかない. 最後に蛇足で食事の話題.昨年の日蝕記念フォーラムの時には行けなかった湖南 料理店「滴水洞」に上海到着の夜に行けたのは幸せだった.あの店の唐辛子をま ぶしたスペアリブは絶品.翌日,魯迅記念館近くの紹興料理店(咸亨酒家)の臭 豆腐もよかったが,案内役の魯さんにいわせると,本場と比べたら味付けがいま ひとつとのこと.無錫での夕食は2晩とも甘めの江南料理.美味しかったが,パ ンチ力に欠けるのは致し方ない.張家界での食事は田舎風(少数民族風味)の湖 南料理.わたしの好きな干し大根とベーコンの唐辛子炒めが食べられて幸せだっ た.最後の夜の店,河岸の客桟風の造りで,カンフー時代劇(かつての名作「龍 門客桟」や連続TVドラマ「神探・狄仁傑」etc)の場面に紛れ込んだような風情が 楽しめました --------------------------------------------------------------------